696キキキキ

696クロウサが綴る 696の世界

第 16 クキ

おいでませ 山へ。

僕は羊飼いです。

家は山の村にあるけど、

ほとんど毎日、300頭の羊と一緒に草地を歩いて生活しちょるんよ。

僕の村は小さいけーねぇ、300頭居ったら みんなちゃんと暮らしていけるんよ。

 

ヒマラヤの朝はぶち澄んだ空気が満ちちょって、白い息がモクモク見えるぐらい寒い。

日が昇ったら みるみるうちに暖こうなって、小さな花が地面で可愛い笑顔を出す。

羊たちは 元気よー草花を食べるけー、どんどん場所を移動せんといけん。

昼頃は虫が一杯飛んでくるし 歩きよったら暑いくらい。

 

午後はどっからか雲が沸いてきて、この明るい山の野原全体にひょうがバッシャーって降って ぶち寒いけぇ。

でも、しとしと降る雨と風はもっと辛い。 ビショビショに濡れるけ全身が凍える。

やけど、雨のお陰で草花が育つんやけぇ 雨はすんごい有り難いんよね。

 

夜は いっつもぶっち寒いけぇ ツァンパ食べてすぐ寝る。

ツァンパっちゅーのは麦の粉よ サラサラの粉をスプーンにすくって口に放り込む。

バター茶も飲むよ。 身体の疲れが取れるし、すんごい暖まるよ。

 

 

月に一回 村に帰る。

家には 女房と息子がおるけぇ帰るのは嬉しい。

息子は生き甲斐やね

いつか 息子と一緒に羊飼いの仕事が出来るのを楽しみにしちょる。

羊飼いは 遣り甲斐の有る仕事。

村のみんなの為に働けるのは誇らしいよ。 

羊たちと一緒に働きよるんよね。

 

 

山は正直やけぇ 人間の僕らにも色々な事を隠さず見せてくれる。

ここの空気は薄いけど美味しい ここの食いもんの味は薄いけど恵みが一杯。

 

山を下りたら空気は濃いい 味の濃いい食べ物が沢山あるし、家も道も壁も沢山ある。

人間も大勢おるけど なーんか、怒っとる人多いなぁ。。

山を下りて働きよる友達も なーんか疲れとるけど、まぁ他の人よりは少し優しい顔。

友達が「お前は 山に居れ」って言ってくれたけぇ、下りる気はない。

なんで怒っとる人多いんか訊いてみたら、

「そんな人は、自分の為だけに生きてしまっちょーけぇ…。誰かの為に生きとかんと、生きものはみんな辛くなるんよ」って言いよった。

 

初めて山を下りて、遠くの街に行った あん時は怖ぁなったよ。

何かなし そわそわと心細ぉなって、つい 見える筈無い自分の村を探して山を見上げた。

自分が街の濃いさに消されてしまいそうな気がした。

 

 

宮殿があった。

大きな市場があった。

車も鉄道もあった。

学校で知らない言葉を学ぶことも出来るらしい。

『みんなが欲しがるものが沢山ある』っちゅーけど

『便利で楽しい』っちゅーけど

気ままに寝っ転がれんし、何でもお金が要るし、

う~ん…

うんこも自由に出来んもんなぁ  う~ん。

 

学校かぁ… 学校は子供が一杯居るけぇ楽しそうやねぇ。

学校で何を学んだら楽しいかねぇ。

生徒に勉強や成績の話を聞いた。クラスでの順位が下がったら悲しいって…。

仲間との競争は楽しいよねぇ。 勝っても 負けても楽しいもんよねぇ。

う~ん…

やけぇ、勝つことだけ大事にするのは勿体ないね。

山は、楽しい負け方も教えてくれる。

 

 


何年も前に、小さくて黒いウサギが、僕の後を 1ヶ月の放牧の間 ずっと付いて来た事があった。

途中で ふ と 『何か観察しよんかな…たぶん遠くから来とって、ここで僕から何かを教わっとるんかな』と思って、気にせず旅を続けた。

「学びは、こちらの悟り次第だ」と、僕も山から勝手に教わったけぇねぇ。

 

 

まる1か月 並んで旅した最後の夜、夢の中でお礼を言ってきた。

(豊かさと美しさと その楽しみ方を気付かせて戴きました)って、言われた気がする。

村に戻る日の朝に居らんことなっとった。

 

僕は何も教えちょらんけどね。

僕は何も教える事は出来んけぇね。  

 

あぁ でも、

息子には 色んな事を見してやりたい。

山の色んなものを見て、野原や川や湖から ちゃ~んと学んだ後やったら、もぅ 何処で何を見ても 大丈夫やろうと思うけねぇ。

 

 

息子には 2つ上のお兄ちゃんがおった。 

全然泣かん とてもとても良い子やったから、赤ちゃんの間に自然が連れていった。

他の村には、我が子にわざと卑しい名前を付けて(神様に連れて行かれん様にする)っていう家もあるけど、僕はそんな事はせん。

大切に育てて、それでも別の天地に連れていかれるんやったら、 

きっと、僕達みんなの事を見守ってくれる素晴らしい仕事をしに行くんやから、その子の魂は山にも雲にも何処にでも居って、自然と一緒に沢山の事を教えてくれるんやから。 

 

 

僕は、村の皆にとても大事にしてもらって育った。

いつも誰かが微笑みかけてくれた。

街では一回も見んかった 何気ない笑顔 が、今も途切れる事のない僕の山。

やけぇ

僕は みんなの為に みんなの羊と みんなの家族と 一緒に 生きとる。

 

 

僕らの先祖は、いつも逃げとったっていう。

許しの無い争いから逃げて 逃げ続けて辿り着いたんが、5000メートルの高地やった。

人間が住むのは難しい場所って言われる、世界の屋根。

自然が厳し過ぎるからって言うけれど、人間同士の暴力に比べたら、

自然の厳しささえ、優しさそのものやと思うねぇ。

ご先祖様に感謝やねぇ

女房にも感謝やねぇ

羊に感謝

ヤクにも感謝 ヤクのお乳のバターは美味しいよ

みんなに 全部に感謝して

感謝に学んで もっと感謝を知って

命に学んで もっと命を知る。

 

この子と一緒に、羊飼いの仕事に出られたなら もっと色々学べるやろうな。 

この高原の草原で。

 

 

あぁ、僕が教えちゃれる事が ひとつあったなぁ。

 

広い草原の 端っこの方にまで届く口笛の吹き方を 教えちゃろう。

300頭の羊たちが一斉に駆け寄ってくれる 魔法の言葉を。

 

 

 

 

 

カティン チェ